「遺伝だから」と言いながら、スマホで調べる夜が増えた

夜12時すぎ、寝室

「うちは父方がそうだから、自分もそうなるんだろうな」と、ずいぶん前から思っていた。

諦めているわけじゃないけれど、「仕方ない」という気持ちが先にあった。遺伝だから、というのは便利な言葉で、それを言えば考えを止める理由になった。薄毛を気にしている自分を、「気にするのは仕方ないけど、どうしようもない」という結論に持っていける。

でも、夜中にスマホを開いて、ふと「AGA 治療」と検索していることに気づいたとき、自分の中の矛盾を見た気がした。「どうしようもない」と思っているなら、なぜ調べているのか。


夜1時、同じ寝室

遺伝だからといって、何もできないわけではない。

これは、調べていくうちにわかったことだ。AGAの発症には確かに遺伝的要因がある。父親や母方の祖父が薄毛であれば、リスクは高くなる。ただ、「リスクが高い」と「確実に同じになる」は違う。そして「リスクが高い」と「対処できない」も違う。

AGAの原因のひとつは、ジヒドロテストステロン(DHT)という男性ホルモンが毛根に作用することで起きる成長サイクルの乱れだ。フィナステリドやデュタステリドといった薬剤は、このDHTの産生を抑える働きを持つ。つまり、根本的な原因のひとつにアプローチする手段がある。ミノキシジルは血流促進や毛根への直接作用を通じて発毛を促す。これらは医療機関で処方される薬で、一定の臨床的根拠がある。

遺伝的素因があるからこそ、早めに手を打つ意味がある、という見方もできる。


「調べた=認めた」という感覚が、最初はあった。

検索することで、薄毛が進んでいることを自分で認定してしまうような気がして、どこか躊躇があった。調べなければ、まだ大丈夫かもしれないという余地を残せる。そういう心理が働いていたと思う。

でも冷静に考えると、調べることと認めることは別だ。気になっているから調べる。それは情報を集めているだけで、自分の状態を宣告しているわけじゃない。むしろ何も知らないまま「遺伝だから仕方ない」と諦めている方が、選択肢を閉じている。

スマホで検索した夜に、そのことを少し整理した。「調べた」ことで、自分の考えがひとつクリアになった気がした。


遺伝という言葉は、ときに盾になる。

自分のせいじゃない、という安心感をくれる。同時に、どうしようもない、という諦めも一緒に運んでくる。でも調べていくうちに、遺伝はあくまで「リスクファクターのひとつ」であって、すべてを決定する宣告じゃないとわかってきた。

父親が薄い。祖父も薄かった。だから自分もそうなる可能性は確かにある。でも、その先をどうするかは、今の自分が選べる。

スマホを開いて調べていた夜は、たぶんその選択の入り口に立っていた夜だったんだろう、と今は思う。