子どもが「じいじの家のにおい」と言ったとき、反射的に自分を疑った
「ねえ、じいじの家のにおいがする」
娘がそう言ったのは、帰省から戻って数日後のことだった。
自分の実家に泊まって帰ってきた夜か、翌朝か、記憶は少し曖昧だ。でも娘の言葉は正確に覚えている。「じいじの家のにおい」という言い方が、何かに引っかかった。
娘はただ気づいたことを口にしただけで、それ以上の意味はなかったはずだ。でも自分は、反射的に自分のことを疑った。
「じいじの家のにおい」とは、どういうにおいのことか。
実家に着いたとき、自分も感じることがある。独特の、くすんだ、どこか懐かしいような感覚。父の体から漂うものと、家の空気が混ざったような。
それを娘が「じいじの家のにおい」と表現したということは、その子にとってそれが特徴的なものとして認識されているということだ。悪口ではない。ただの認識。でも、その言葉を聞いたとき、自分は「その可能性が自分にもある」と思った。
反射的に、だ。論理的に考えたわけではない。
でも体がそう反応した、ということは、どこかで気にしていたのかもしれない。
加齢臭は、皮脂の酸化によって生じるノネナールという物質が主な原因とされている。
年齢とともに皮脂の組成が変化し、酸化されやすい脂肪酸の割合が増える。40代以降に変化が顕著になるとされていて、古い紙や枯れ草に例えられる独特のにおいを生じる。
この変化は、じいじだけに起きることではない。
自分も同じ経路をたどる可能性がある。いや、すでにたどり始めているかもしれない。「じいじの家のにおい」が自分の父のものだとしたら、10年後か20年後か、自分もそうなるかもしれない。
自分では気づきにくいのが、やっかいなところだ。
嗅覚は慣れやすい。自分の体から常に発生しているにおいは、最も順応が進んでいる。だから「気にならない」という感覚は、においがないことの証明にならない。
娘は今、自分の体から「じいじの家のにおい」を感じているだろうか。
答えを知ることは難しい。子どもに直接「パパはにおう?」と聞いても、正確な返事が来るとは限らない。
でも、気にしていること自体は、悪くないと思う。
気づきの入口として、「反射的に疑った」という事実は使える。否定するよりも、少し調べて、できることから変えていく方が、建設的だ。
「じいじの家のにおい」という言葉が、自分へのメモになった。
娘にそんなつもりはなかったはずだ。でも、そういうことが時々ある。
ケアを始めたのはその翌週からだ。お風呂の時間と洗い方を変えて、使うものも見直した。急いでいるわけではないし、すぐ結果が出るとも思っていない。
ただ、娘が「パパの家のにおい」と言う日が来るとしたら、それは「じいじの家のにおい」とは違うものであってほしいと思っている。