マスクをずらした瞬間、自分のにおいが自分に届いた

昼過ぎ、オフィスの廊下

外回りから戻って、エレベーターに乗ったとき、マスクをずらした。
一人だったから、少し楽にしようと思っただけだ。

そのときに、漂ってきた。
自分の口から出てきたものが、自分の鼻に届いた。

「あ」と思った。声には出さなかったが、体が少し固まった。
何年ぶりかにはっきり感じた、自分の息のにおい。


木製のテーブルの上

普段は気にならない。マスクをしていると、空気の流れが変わって、においも散る。外していると、息は前に向かって飛んでいくから、自分の鼻には届かない。だから「気にならない」のは、気にする機会がないだけかもしれない。

エレベーターの中で、久しぶりに届いた。
濃い空間で、自分の顔のすぐそばに漂ったにおい。それが、思っていたよりも、強かった。

どのくらい強いのか、他人と比べる手段はない。
でも、「大丈夫だろう」という仮定は、少し揺らいだ。


口臭の原因として多く知られているのが、口の中で発生する揮発性硫黄化合物(VSC)だ。
硫化水素やメチルメルカプタンといった成分が、嫌気性菌の働きによってたんぱく質を分解するときに生じる。舌の上や歯間、歯ぐきの溝などに棲みつく菌が、食べかすや粘膜細胞をエサにして産生する。

朝起きたときや、長時間しゃべらなかったあと、空腹時などは特に強くなりやすい。口の中が乾燥すると唾液の自浄作用が落ち、菌が活発になる。エアコンの効いたビルで、長い会議のあとに。そういうタイミングが積み重なっていた。

マスクの中に閉じ込められていたものが、ずらした瞬間にまとめて漂ってきた。そう考えると、納得できた。そして、それが毎日起きていたとしたら、と考えた。


誰かに言われたわけではない。
相手の反応が気になったことはあった。でも、それが口臭のせいだと確信できたことは一度もなかった。「そういう気がする」という感覚だけが、長く、静かに積もっていた。

エレベーターの中で初めて、自分で確認した。
不確かな「気がする」から、少し具体的な「感じた」に変わった。

それは、怖い気もしたが、少し楽でもあった。
「気のせいかもしれない」と「確かめようがない」の間で宙ぶらりんだったものが、少し動いた気がした。


口の中のケアを見直したのは、そこからだ。
歯磨きだけで足りているのかを考え直した。舌苔の掃除、マウスウォッシュの使い方、唾液を増やす意識。それだけでなく、口腔内の菌バランスを整えるアプローチも調べ始めた。

マスクをずらしたエレベーターの記憶は、あまり心地よいものではなかった。
でも、知る機会になったとは思っている。