「何が嫌なの?」と聞かれて、答えられなかった

日中のカフェかリビング

「何が嫌なの?」と聞かれたとき、しばらく黙ってしまった。

嫌なことはある。そういう感覚は確かにある。でも「何が」と問われると、うまく言葉にならない。職場のことかもしれないし、人間関係かもしれないし、疲れているだけかもしれない。全部が少しずつ重なっていて、一つを取り出して「これです」と言えない。

「わからない」と答えると、「じゃあ大丈夫なんじゃない?」という反応が返ってきた。大丈夫じゃない気がするのに、「大丈夫なんじゃない」と言われて、「そうかも」と答えた。そのまま話が終わった。

答えられなかったのは、嫌なことがないからじゃなかった。言葉にする前に、整理が必要だったのだと思う。


デスクか木製テーブルの上

「何が嫌か」を言葉にするのは、思っているより難しい。

感情は、言葉より先に来る。何かがしんどい、という感覚がまず生まれて、その後から「なぜしんどいのか」を考える。でもその「なぜ」の部分は、簡単には見つからない。複数のことが重なっているときはなおさらで、どこから解きほぐせばいいかわからないまま、「なんかしんどい」という状態が続く。

認知行動療法という考え方では、感情と思考を切り分けることを大切にする。「なんかしんどい」という感情の背景に、どういう考え方のパターンがあるかを一緒に見ていく作業だ。専門家と話すことで、一人では気づけなかった思考のクセが見えてくることがある。「自分はこう考えていたんだ」という発見が、感情の扱い方を少し変えることもある。

「何が嫌か」が言葉にならないまま相談に行っても、それでいい。整理されていない状態で来てほしい、というのがカウンセリングの前提だから。


「わからない」は、答えじゃない。

「今は言葉にできていない」という状態だ。言葉にするためのプロセスが、まだ始まっていないだけかもしれない。

「何が嫌なの?」という問いに答えられなかったとき、相手が悪かったわけでも、自分が弱かったわけでも、嫌なことがなかったわけでもない。ただ、その問いに答えるには、もう少し違う場所と、違う相手が必要だったのかもしれない。

話せなかった言葉は、どこかにある。それを一緒に探してくれる場所が、あることを知っておいてほしい。