専門家に話す、という選択肢が自分にあるとは思っていなかった
カウンセリングは、もっとひどい状態の人が使うものだと思っていた。
精神科に通っているとか、日常生活に支障が出ているとか、そういうレベルでないと、専門家を頼るのは「大げさ」になるような気がしていた。自分はただ少し疲れているだけで、毎日は普通に送れていて、仕事もできている。そういう人間がカウンセリングを受けるのは、なんか違う気がした。
だから選択肢として考えたことがなかった。「自分には関係ないもの」として、ずっと脇に置いてきた。
カウンセリングの利用条件に、「深刻であること」は含まれていない。
これは建前ではなく、実際のことだ。オンラインカウンセリングを利用している人の多くは、日常生活を普通に送りながら、「なんかしんどい」「人間関係でもやもやしている」「将来が漠然と不安」といった状態で利用している。診断名があるわけでも、生活が破綻しているわけでもない。
専門家に話す意味は、問題を解決することだけじゃない。話すことで感情が整理される、という効果がある。言葉にした瞬間に、頭の中でぐるぐるしていたものが少し形をもつ。形をもつと、少し客観的に見られる。認知行動療法では、この「思考を外に出す」プロセスを積み重ねることで、感情の渦にはまりにくくなる、とされている。
深刻じゃないからこそ、早い段階で話す場所を持つことが、後々の消耗を減らすことにもなりうる。
「自分にはカウンセリングは必要ない」と思っていた理由が、少しわかる気がする。
もし利用することになったら、「自分はそういう状態なんだ」と認めることになる。それが怖かった部分もあると思う。認めたくなかったわけじゃなくて、認めることの意味が重く感じられた。
でもカウンセリングを使うことは、状態の認定じゃない。「話す場所を選んだ」というだけだ。歯が痛くなる前に定期検診に行くのと、構造的には似ている。何かが壊れたから行くのではなく、整えておくために行く。
「自分には関係ない」と思っていた選択肢が、実は自分にも開かれていたと知ること。それだけで、少し息がしやすくなることがある。